新時代の基礎づくり
戦後復興期
よみがえった八王子商店街
終戦によって国民は戦争の恐怖から回避されたものの、生活物資不足とインフレに悩まされた。このような状況のなかで、国民の需要を支えたのが焼け跡や空地にたったヤミ市であった。八王子では駅前の広場・三崎町通り・八幡八雲神社境内とその周辺道路等にヤミ市(露店)がたち、市民の需要に応えていた。その数は200~250軒を数えた。八王子市民はこの焼け跡から立ち上がった。

終戦翌年の八日町交差点西方

昭和25年頃から物資も次第に出回り、20年代末の商店数は2,211戸・従業員6,113人、そして横山町~八幡町間約1kmの甲州街道両側の商店街歩道にアーケードもでき、八王子商店街は復興していった。
新しい八王子商工会議所の誕生
商工経済会法が廃止され、東京都商工経済会八王子支部は解散、新しい商工会議所法によって誕生した八王子商工会議所は、復興を第一に考え、次のようなさまざまな活動を積極的に展開していった。

商工会議所事務所

商店街復興のため八王子市商業復興大会の開催、物価高騰に対する値下げ運動の推進、東京都指定の消費観光地区を八王子銀座とするため消費観光地区振興協会の結成、貿易の斡旋・連絡とバイヤーと輸出織物の折衝、中小企業者への融資促進運動、中小企業の経営相談、税務相談所・商工相談室の開設、珠算能力検定試験の実施、商店連盟の広告まつりへの協力、中元大売り出しへの協力、ヘレン・ケラー女史提唱の不幸な人びとへの救済基金募金への協力等である。
その後、商工会議所は、改正商工会議所法の施行によって地域経済団体としての性格が付与され、事業の幅も広く大きく拡張し、今日の基礎を築いていった。
年 表
昭和23年(1948年)
6月
第1回珠算能力検定試験開催
 
7月
中小企業庁設置
 
12月
当会議所建物を戦前の場所(本町66番地)に新築移転
昭和24年(1949年)
1月
京都で開催された全国銘仙博覧会で八王子銘仙第1席を獲得
 
7月
当会議所金融部会発足
 
10月
当会議所、商店連盟と共催で「広告まつり」を実施
昭和25年(1950年)
5月
商工会議所法公布、組織の基準、活動の原則等を規定
昭和26年(1951年)
4月
八王子市、当会議所、商店連盟共催の「花まつり」開催
 
9月
サンフランシスコ講和条約、日米安全保障条約調印
昭和27年(1952年)
8月
日本、IMF(国際通貨基金)・世界銀行に加盟
昭和28年(1953年)
2月
NHK、テレビ本放送開始
 
8月
新商工会議所法公布
 
9月
中小企業金融公庫設立
 
10月
第12代会頭に八木岡英一就任
昭和29年(1954年)
3月
都商工指導所に協力し「商工相談室」を設置
 
4月
八王子繊維貿易館落成
 
8月
日本商工会議所、新法に基づく組織となる
 
8月
商店街(横山町~八幡町)にアーケード完成
昭和30年(1955年)
5月
第1回東京国際見本市開催
 
6月
商法改正法公布